峠道でのツーリング夕暮れの牧草地と牛の群れ雨の網走方面への道崖沿いをうねる山道道を横切るヤギ田園地帯をまっすぐ伸びる道雪の吹雪くキャンプ地の夜トンネルの先に広がる敦賀の海田舎道沿いの万屋のある交差点雪道に佇む荷物満載のバイクと夕暮れの空桜の木と入江を望む峠道のバイク切り立った崖とトンネルへ続く峠道火山地帯を貫く一直線の道宗谷の草原を行く一本道とバイク深夜の雪原に伸びる道宗谷岬の雪原に並ぶ愛車たち夜の風車群と雪道のバイク砂浜の海岸線とバイク緑の岩山と海を望むキャンプ地のバイク海沿いを行くカーブの道白黒写真、壁に停めたリトルカブ

青パーカーの書き散らし

旅の合言葉は「宗谷岬でまた会おう」。 旅の記憶と、知識の記録。

青パーカーの書き散らし 18.10.21 北海道に捧ぐ #1

18.10.21 北海道に捧ぐ #1

書き散らし Diary

あと何回、北海道を走れるのか。
あと何回、雪の上を走れるのか。
 
人生を80とすると、もう1/4を失った。
ボーッとしていれば時間は無情に消え去ってゆく。
 
北海道には4回行った。
2016年、原付日本放浪
2016年暮から2017年、年越し
2017年暮から2018年、年越し
2017年ゴールデンウィーク、XLR引取。
 
あと何回、チャンスはあるのか...。
 
死ぬのは怖くない。
死ぬのは夜中にコンビニに行くようなものだ。
でも、北海道に行けないのは怖い。
 
でも北海道に行くのもまた、やはり夜中にコンビニに行くようなものだ、と思う。
行こうという意思が芽生えた時、北海道はそこにある。
行こうとさえ思えば、現実の何もかもをも忘れ、北海道になることができる。
 
ひたすらの道も、その大地の麗しさも、食も、文化も、人も。
何もかもが心地よく、すべてが我を包み、やがて同化してしまう。
そして後に待つのは、もう一度来るか、それともここで死を待つかの選択だけだ。
 
しかし自由がない人はこの選択肢では足りない。
例えば、時間的、身体的な理由で行かないという選択がある。
だが、しかし、行かないのではなくて行けないのだとしたら?
この先一生、この試される大地を踏むことができなくなる可能性があるとすれば?
 
それは死よりも怖いものじゃないか?

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7年前(2894日前)

自由に押せますが何も起きません

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