ついに来た、このときが。
2019年の上京以来、住処としてきた賃貸を引き払う。
賃貸とはいうが形態は寮で、要は会社の持ち物に長らく住まわせてもらった。
一人一部屋、キッチン、トイレ、バスがついた上質な鉄筋コンクリート造の代物だった。
家賃は2万5千円。
この優良物件を引き払うには理由がある。
今年自分が期限切れを迎える。It'll be expir in this year.というやつ。
入寮制限というやつに引っかかり、出ていかねばならなくなるのだ。
そうした折、縁あって家に住まわせてくれるという人物が現れ、そうして急遽引っ越しを始めた。
27年生きて来て、いろいろなことがあるものだ、としみじみ思う。
ハイエースだ。ハイエースを讃えよ。

この時期の引っ越しは需要が共有を遥かに上回り、通常料金のx倍という値段を取られる。
少しでも料金を抑えたいというのが人間の性。
ならばハイエースはどうだろうか。
バンタイプなら荷室がフリーになるため、単身パックのプラスアルファくらい載せられる。
これを一日レンタルで18,000円、知人を一日レンタルでスエヒロ館一食分。
何往復かすれば荷物は運び出せるし、とてもリーズナブルである。
ところで、引っ越し界隈では代金を極限まで値切る方法があるらしい。
相見積もりを取りまくり、その都度「この業者は〇〇円でしたが、御社はどうします?」を繰り返していくという荒業だ。
確かに合理的な方法ではあるが、良心が痛むし、何より時間がかかる。
近場での引っ越しはハイエースだ。
家電はタダで売る
昔のわたしの上司は、我々小さき人たちにこういった。
「世界はマッチング。マッチングでできている。」
これは決してまぐわいを求める男女が集うマッチングアプリ的な文脈だけを意味して発している言葉ではなく、真に世の中を動かすのは需要と供給だ、ということを上司なりのユーモアを混ぜて語った言葉だ。私は半年のうちに、この言葉を10回ほど聞いただろう。
ここから得られる教訓は色々あるが、引っ越しの際には家電の処分に役に立つ。
つまり、需要と供給が交錯する3月〜4月は、家電リサイクル法などで定められる処分代を負担する代わりに、家電を使いたいという人にタダで引き取ってもらうのが良い戦略ということだ。
ということで、洗濯機と冷蔵庫と電子レンジはジモティーに出し、運よくマッチングした運命の人に引き取ってもらった。
なお、マッチングを連呼していた昔の上司は、見事その能力を買われ、マッチングの末に中国に飛ばされた。
捨てよう、世界の神秘
家庭というものは、そこに所属する以外の何人にもその模様、その世界はわからない。
聞いてみるのと見てみるのでは情報量が違う。
人間は情報の80%を目から仕入れているという。
他人の世界は他人にしかわからないのだ。
その意味することは、蓄えている家財のうち何にどれだけの価値があって、その反対にどれくらいの量のゴミが眠っているかは当人たちにしかわからないということだ。
ここには一種の神秘性がある。
一人暮らしの家庭にある家具といえば、先に上げた洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、それからエアコン、机、布団、場合によってはテレビやソファなどだろう。
私はテレビは持っておらず、ソファは中身が空気の便利なもので、既に新居に運び入れてしまった。
そうなると、残るは小型のゴミ類である。

そんな小型のゴミ類はバイクで市の清掃事業所に運びいれる。
清掃事業所の、10kg単位でしか計れないいいかげんな重量計で測ったら20kgほどだった。
こういうときに、バイクは便利だと思う。
空っぽになった世界と、新しい世界

ああ、毒が抜けた。

そして新しい家に、毒が入ってきた。
2025年、新しい毒と暮らしていこう。
