青パーカーの書き散らし

宗谷岬でまた会おう。旅の記憶と知識の記録。

18.12.26 終わる 契約の 刻

12月25日。

学校が休みに入り、22、23、24日と激激の激務で激務っていました。
室内で半袖の汗だく、延々止まらない上下のコンベア、落とせば即遅延の滝汗キチキチアルバイトマンでした。 一応商戦は年明けまで続きますが、24日で切れるように契約を結んだので僕はここでリタイアです。

自分は仕事を覚えるのが遅い(と自覚している)ので、入りたての頃は同期のバイト数名より信頼がありませんでした。 が、気づけば同期中で一番動ける人材になっており、このように繁忙期に重役を任される事になって胸が一杯です。

店長は仕事の内容上の教育はする人ですが、心持ちの教育ではあまり口を挟まない人でありました。
つまり、その人の誠実さだとか、いい加減な仕事をする人だとか、そういったモノはそういったモノとして捉えておくだけであり、無理に性格を矯正しようとすることはしない人、という意味であります。
しかし、何も言わなくても見ているものは見ており、誠実さだとか態度だとかは評価されている訳です。
当たり前のことですがこれが分かっていない人も中にはおり、見かけの上の許容範囲で勤務態度を決めている人も居ました。
自分が最後に全幅の信頼を得たのは、常に自分なりの仕事への誠実さを以て働いてきた結果だと思っています。

また、『頼まれごとは試されごと』というのを常に意識してやってきました。
自分は時給900円で仕事を頼まれた身であり、決して「働いてやってる」訳ではありません。
慣れたフリーターの人でもこのことを理解できている人とそうでない人とでは、勤務態度に差があるなぁと感じます。
よく志望動機に"社会勉強のため""小遣い稼ぎのため"などと書きますが、しょうみ誰だって食ってくために働くのであって、それにはそれなりの対価が必要です。
その価値を履き違えてしまう代名詞が学生であり、彼らは自分が社会勉強でき、尚且お金が貰えればあとはサラリーを貰えるギリギリラインのテキトーな仕事で済ましたいと思うもんです。
時折店舗に社長が来られますが、何らかの会話の中で「自分は働かせて"いただいている"身なので」と口にしたところ至極驚かれたことがあります。
けど、「まぁそうやな、それが当たり前やなぁ」と店長と3人で頷いてたので、アルバイトという枠の人材はそういう意識が無いのがデフォと認識されているんじゃないかな、なんて思ってしまうわけです。

さて、このアルバイト先はこれまでで最も多く働いた場所でした。
また、最も期待に答えられたかなと思います。
小田和正は「二度とここへ戻れないことを哀しいと思わなさんな(意訳)」、と歌いましたが、 やはりこの場所に戻れないんだなと思うと不覚にも目頭が熱くなります。

契約の最後の日の店閉めをしているとき、ベテランバイト2人の背中にウルッときたのは内緒ですよ。

最も居心地の良いバイト先でした。

まあ年明け後も人が足りないのなら入ろうかなと思う。

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