あと何回、北海道を走れるのか。
あと何回、雪の上を走れるのか。
人生を80とすると、もう1/4を失った。
ボーッとしていれば時間は無情に消え去ってゆく。
北海道には4回行った。
2016年、原付日本放浪
2016年暮から2017年、年越し
2017年暮から2018年、年越し
2017年ゴールデンウィーク、XLR引取。
あと何回、チャンスはあるのか...。
死ぬのは怖くない。
死ぬのは夜中にコンビニに行くようなものだ。
でも、北海道に行けないのは怖い。
でも北海道に行くのもまた、やはり夜中にコンビニに行くようなものだ、と思う。
行こうという意思が芽生えた時、北海道はそこにある。
行こうとさえ思えば、現実の何もかもをも忘れ、北海道になることができる。
ひたすらの道も、その大地の麗しさも、食も、文化も、人も。
何もかもが心地よく、すべてが我を包み、やがて同化してしまう。
そして後に待つのは、もう一度来るか、それともここで死を待つかの選択だけだ。
しかし自由がない人はこの選択肢では足りない。
例えば、時間的、身体的な理由で行かないという選択がある。
だが、しかし、行かないのではなくて行けないのだとしたら?
この先一生、この試される大地を踏むことができなくなる可能性があるとすれば?
それは死よりも怖いものじゃないか?