今日の仕事が終わった。
朝10時半から18時までの定時ムーブだった。
バイク用のコートを着込んだあと、待ち合わせをしていた後輩と落ち合って、自転車を全力で漕いで坂の上の町へ繰り出す。
小雨の降る夜だった。
やってきたのはこじんまりとしたナン屋。
就職して埼玉にやってきてから、5年間通っているナン屋だ。
「大将、チキンビリヤニをひとつ。それと氷抜きのラッシー。」
「アイヨ!ビリヤニトコオリヌキラッシネ!?」
ハフハフジュルリ。
5年も通っていて、初めてこのお店のビリヤニを食べた。
お米が日本米で、味の奥底に独特の甘みが広がる。
これも悪くはないが、やはりビリヤニはタイ米だな、と思った。
このビリヤニは800円で、目算で米が1.5合〜2合ほどある。
食事が運ばれてきて山のように盛られたお米を見て「これを食べるのは無理があるかもな」と思ったが、案の定すぐにスプーンが止まって、最後の3掬いは一緒に来ていた同僚が平らげてくれた。
命からがら家に帰ってきた。
加湿器とエアコンを付けて布団に倒れ込んだら、急速に血の気が引いてきた。これは腹痛だ。下痢を伴うやつ。
こうしてトイレに籠もって、この当たり障りのない記事を書いている。
25歳男、もう無理ができない身体になりつつあることは分かっている。
しかし、人には無理とわかっていながらも拒否できないものがあるのだ。
それが今日の私の場合は、暴力のように盛られたこのビリヤニを食べきることだった。
私の家系は、先祖代々漁師でありながら百姓であるので、米を残すことは先祖への冒涜でもある。
だから、身体に無理を掛けてでもこのビリヤニを糧にする必要があった。
ふと、時には無理をしてでも攻める必要がある部分がレースみたいだな、と思った。
名分にこそ差は生まれるが、何かを得るためにはプッシュが必要なのだ。
この場合は"矜持を曲げない"ために、"ビリヤニを余さない"というプッシュをした。
人生には様々なレースがあって、それは他人との戦いであったり、自分との戦いであったりする。
でも、25歳の身体にこのビリヤニは無理だった。
食べたものが、こうして下から出てきてしまったのだ。
俺たちは人生のレースをやっている。
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