前: 20.12.31 年越し宗谷岬4 #3 上陸 - 青パーカーの書き散らし
昨夜はビシャビシャになったうえ本州の雪のヤバさに翻弄されて南下を決断。
結果としては仙台まで走り切って、先の記事の通りフェリーで北上しました。
宮城の道があまりにもふざけた路面ですっかり自信損失してしまい、しょうじき苫小牧からそのまま地元に帰ってしまったほうが良いのでは?と思いつつも、引き返せるところまでは走ってから考えることにします。
11時10分、フェリー下船。
ゲートがひらく時、期待と不安と流れ込んでくる冷気に身を震わせます。
苫小牧市街は全く路面に雪はなく、感触を確かめる間も無くコインランドリーへ。
服の乾燥はフェリーでどうにかなったんですが、靴がどうにもならなかったので。
40分ほどで乾燥して、苫小牧から234で安平 由仁と進むと雪まみれに。
雪まみれっていうかホワイトアウトに近いですね。
おまけに今年買ったSHOEIのZ7のピンロックが機能していないのか、一瞬でバリッバリに凍る始末。
路面が全く見えないので、少し走っては止まってぬぐうことを繰り返していました。
三笠まで走ればイオンがあることを知っているので、携帯が機能しない中でも先が見えることに安心できます。
イオンでニクロム線でもあれば熱線シールドをこしらえようと思ってたんですが、あんなに大きくてもないものは無いですね。
スノーウェアコーナーにスキー用のゴーグルがあったので拝借。
も、すぐ撃沈。
4年前、夏用シュラフで地獄の-18度を過ごしたハウスヤルビ奈井江で色々工夫してみるもダメ。
スマホを復活させてスポーツ用品店がないか探すと砂川にありますね。
店員さんが親身になって話を聞いてくれて、SWANSの二重になったゴーグルを購入です。
送風機能付きのやつとかもありましたが、入らないのとミラーシールドになっていたのでやめました。
痛い出費ではありますが、塩梅は良さそうです。
275→233で北竜から留萌へ。
2年前のじゅえる氏の横でコドラしたときのような道...というかあの時の道そのままでは?違いました。
除雪が入っていないのと、途中から前走車のトレースが無くなったこと、暴風雪によるホワイトアウトのせいで最悪のコンディション。
3灯ぶんのイエローライトをつけてきたのと、ほぼフルピンのスパイクタイヤで来たことが功を奏してなんとか切り抜けました。
コーナーになれば矢羽根の間隔も縮まるのですが、そんなものは遠すぎて全然見えなくて、もっと手前の路肩の雪の壁や路面の凹凸で道を道であると判断しながら、あとはハンドルに伝わってくる感触で路面状況を判断。
ガソリンも少なかったのですが、なんとか留萌まで降りることができました。
・・・。
留萌で給油後、オロロンで北上。
もうこうなったら目指すところはそこくらいしかないんですが、本当は今回は道東をめぐるツーリングにするつもりでした。
でもこうやって北上しているのは、当初の本州縦断が計画倒れとなって12月31日中に行けるのでは?といった思いがあったからです。
オロロンなら風こそ強いけど雪も無くて圧雪かアイスバーンの快走路(だろう)という例年の実績からこの道を選びましたが、まあ最悪でした。
風+暴風雪+鞍部は雪が積もってざっふざふ。
おまけにニードル付近が薄くてノッキングまみれでほぼ3速で走るはめに。
遠別手前の道の駅で休憩。
飯を食べていないのと長時間のホワイトアウト+耐風姿勢の走行で感覚が狂ってきているので遠別市街まで出てセコマで夕飯にしましょう。
参ったことがあって、留萌で給油したガソリンでは稚内まで持たない気がする。
おまけにサブタンクは1Lしか入ってなくて、ここで一泊して天塩あたりで翌日給油か、もしくは一か八か行ってみるか......。
計算上この1Lを給油すれば足りるので、入れみていければそのまま行く感じで。
稚内まで行けば深夜までやってるスタンドもあることだし。
天塩から106へスワップ。
曲がった瞬間にレッグシールドまである雪。
まさか...?除雪されていない......!?
まあ街中だし、交差点は荒れているところが多いから、、、と不安を押し込めてみましたが、1km2km走っても変わらずザフザフ。
このまま80kmも続くのか...と困りましたが、タイヤがうまいこと仕事をしてくれているみたいで 強い横風でフロントが流されても転けることは無さそうです。
3速主体で流して、宵闇に赤く瞬く光を超えたところで駐車。
先を急ぐ気分だったのと、空には雲がかかっていたことがあって適当撮影で済ませました。
そもそもガソリンが持つかわからないので、オロロンに入ってからずっと「シェルターでビバークしようか?」とかかんがえていましたが、あのシェルターってあんな簡素な感じだったんですね。
翌朝秋田のマカマカさんと話していて、自分の思い浮かべていた自販機とトイレ付きのシェルターは40号のだったことを思い出しました。
・・・異変が起こったのは稚咲内の(たぶん)この交差点。
交差点をすぎると海の方からせり出した雪の山が路面に跨っており、ガッツリ突っ込んでスタック。
え?この雪の壁、レッグールドのアタマのとこまであるんですが?は???????
色々もがいて抜け出しましたが、抜けた後後輪がガッコンガッコンします。
あっ、パンクだなと思いましたが、普段ならパンクしたら直せば良いもの、ここはサロベツ原野のど真ん中。
この気温でゴムがダメな感じになって難航することは4年前に経験済みのため、ここで止まるのは危ない。
暖房がついている(はずの)PAがあればなんとかなるんだけれど...。
車なんてさっきから3台見たか見ていないかで、本当の本当に暗闇のだだっ広い大地の中に独りポツンと、といった表現が似合う状況です。
あと5km走ればきっとPAだと思いながら走って走って、途中幾度かの雪庇を対向車線の端まででて避け、どうもその雪庇に突っ込んで原野へ落っこちた車とJAFが居たり。
リアタイヤの粘りがあり、2速で進むしかない。
サロベツ原野のど真ん中でビバークが何度も頭をよぎりましたが、少しでも人の温かみを感じれるPAまで走りたいようなきぶん。
・・・冒険って、多分こういうことを言うんだろうなと思いながらも、こんな心細い思いをするくらいなら安定した生活を取るのだろうと思ってしまった自分も居る。
暗闇の中で自問自答して、ようやく抜海の右カーブに差し掛かる。
ここまでPAらしいものは無く、あのシェルターを越えたら、あとは稚内まで何もないことを覚悟しないといけないことを学びました。
あと15km。
ガソリンが無くなっても、最悪なんとかなる距離。
ほんとうのほんとうにお疲れ様でした。なんとかセーブポイントまで辿り着きました。
死ぬとは思わなかったけれど、生きた心地はしなかった。
明日は整備から始めます。
349.7km
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